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鎌倉幕府と藤原氏~幕府の陰に藤原あり~

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🌞鎌倉幕府と藤原氏~幕府の陰に藤原あり~

 鎌倉に幕府が開かれ、武士の時代になった、と思われがちな鎌倉時代ですが、京都には当然のように朝廷が置かれ、天皇や摂政・関白は引き続き日本の政治に深く関わっています。何よりも当時の天皇家と摂関家は鎌倉幕府をしのぐ大規模荘園領主であり、その権力はまだまだ健在でした。その一方で平氏政権・鎌倉幕府という軍事政権とどう関係を持っていくのかというのも重要な問題でした。

 近衛基通は藤原忠通の孫にあたり、平氏政権に支えられて摂関となります。にもかかわらず平氏を裏切り、後白河法皇に近づくことで自分の地位を守り、源頼朝によって引き摺り下ろされますが、承久の乱に際して奇跡の復活を遂げます。その数奇な生涯をたどります。

 九条兼実は鎌倉幕府を開いた源頼朝と関わりを持ち、鎌倉幕府創立にも大きく関与しますが、世渡り下手のせいか最後は頼朝にも裏切られ、失意の最期を遂げます。しかし法然房源空のパトロンとして、藤原定家の上司として日本文化にも大きく寄与したことは欠かせません。

 九条道家は兼実の孫にあたります。父の良経(彼も百人一首にその歌を再録される定家の有力な門人で、定家の理解者でもありました)の不慮の死後、それまで九条家と対立してきた後鳥羽院政に近づき、承久の乱では見て見ぬふりを貫きますが、承久の乱後は鎌倉幕府四代将軍藤原頼経の父親として、そして朝廷の摂関として朝幕の頂点に立ちます。

① 9月24日 近衛基通~平氏政権に支えられた摂関~
② 10月22日 九条兼実~源頼朝を押し上げた摂関~
③ 11月26日 九条道家~朝廷と幕府の双方を支配した摂関~

講師

秦野(はたの) 裕介(ゆうすけ)(立命館大学研究員)

受講料 3回 6,500円
日程 9/24、10/22、11/26
曜日・時間 毎月 第4水曜日
13:30~15:30
持ち物 筆記用具
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