合同繊維労組が救援物資を搬送し被災労組と交流

   

     

 合同繊維労組・福岡修書記次長と中矢貞夫執行委員に京都総評・稲村守事務局次長が同行し、東日本大震災被災地に救援物資搬送と被災労組との交流を行い、激しい被災現場の案内も受けた。

4月8日(金)夜京都を出発し、ワゴン車でパジャマ250着を満載して仙台の特別養護老人ホームに届け、岩手・宮城・福島三県の東北の被災労組から被害実態と対策方針を聞き取り、今後の救援活動についての交流を行ってきた。4.8の不眠での仙台まで800キロ・12時間の運転を含め、4月11日夕方京都着の四日間の強行スケジュールをこなした。今回、一番遠い釜石までは約千キロであった。

2030に京都駅八条口で、合同繊維労組三役から見送られ、雨の降る中を京都東インターにのり、金沢・新潟経由で磐越自動車道から東北自動車道を経て仙台に入った。前日夜の大余震でストップしていた高速道路も再開し、不眠不休で4月9日(土)午前10時に仙台駅前の東北全労協事務所に到着した。宮城全労協大内忠雄議長と酒井実事務局長に迎えられ、大震災とその後の状況と労組の取組み、問題点についての概要をお聞きし、市内若林区の特別養護老人ホーム・白東苑に案内していただいた。

同ホーム高橋治理事長は1983年まで宮城県労評(かつての総評県組織)議長を務められ、79年の社公合意と80年代の労戦右翼再編に反対された時代を思い起こされながら、私たち三人に心からねぎらいの言葉をかけていただき、合同繊維労組から数日前に三千本のタオルが贈られたことも感謝された。

このホームは甚大な津波被害を被った仙台市名取市の近くで、500メートル近くまで津波が押し寄せたが直接の被害は免れた。そこで当初、名取市の被害にあった老人ホームの避難所として救援活動に当たられ、老人ホームの理事長会の取りまとめも担われているので、タオル・パジャマの必要なホームに配分するネットワークとして運動するとのこと。合同繊維労組はさらに三千着のパジャマの贈呈も伝えて皆さんの笑顔を眠気覚ましに、老人ホームをあとにした。

三人を乗せたワゴン車はその後東北自動車道を北上し、二時間かけて北上市の「共生ユニオンいわて」の書記局に到着し、午後5時から東京から駆けつけた全労協金沢議長を始めとする5人の東京のメンバーと交流会を行った。いわてのユニオンの皆さんは、北上から車で30分ほどの遠野市(柳田國雄の『遠野物語』で有名)に前線基地を設けて三陸海岸の市町村の救援活動を行うとのこと。翌日に釜石まで激しい被災現場への案内を受けたが、遠野から20〜30分で他の沿岸部にも出動できるこの市に、警察や自衛隊や様々なところが前線基地を置いている。新聞によると東大も基地をつくるとのこと。ここに、すでに大阪全労協からは整体師の派遣や様々な専門領域のボランティア含めて申し出を受けている全国の仲間の受け皿にして行こうという、中期的な救援計画もうかがうことが出来た。

翌朝10日(日)、北上市6時半出発で釜石の被災現場を見て、大きな船が地面に打ち上げられ、今にも倒壊しそうなビルや裏返しの自動車や道路の左右に掃き分けられたままの家財の山に声を失った。警察、自衛隊、NTTや専門家集団が撤去や再建に向っているがちょっとやそっとで進みそうにはなかった。釜石市役所もそれらの中に埋もれていた。

予定を二時間過ぎて仙台に到着し、前日の宮城全労協議長・事務局長から東京のメンバー含めて改めて話を伺い、仙台空港とその周辺の名取市の津波被害現場を案内いただく。「見たことはないけど戦場みたいだなあ」と合繊のお二人。加盟単組の委員長宅も丸ごと流されたという名取市の広々とした住宅街は、焼け野が原のようだった。すぐ近くの仙台空港に行く途中のビニールハウスの骨だけが伸びて反り返っていた一面の元畑の砂原に飼い主を失った子豚が走っていた。再建の展望不明の仙台空港の手前には死体も眠っているかもしれないという状態で家財が散乱していた。一軒だけ半壊で、家族総出で荷物をまとめていた。

宮城全労協議長・事務局長の見送りを受けて高速道路にのり、予定より一時間半遅れて17時半郡山市到着で、「ふくしま連帯ユニオン」の皆さんの出迎えを受けた。原発難民の書記長、反原発運動の市民団体でも活躍する女性部担当の方も憤懣やるかたない東電と政府の対応に怒り、「事故の原発の廃炉と稼動している原発を止めさすのは当然だが、沖縄県民大会のように、反原発の大運動を福島で全世界集会としてこの秋に成功さそう」と、近くの避難所の救援活動方々自治体や県知事への申し入れも行いながら、構想は遠大である。

近所のラーメン屋さんで会食しながらも反原発闘争と労働相談・救援活動の意見を激しく闘わしながら、別れを惜しんで20時半、南の東京と西の京都行きに分かれて東北をあとにした。

岩手・北上のユニオン事務所には「岩手県詩人クラブ」の看板も並んでいた、「まちづくり・・・」や「憲法・・」の看板には驚かないが、「詩人云々」の看板には感激してしまった。ユニオン書記長でもある岩手県詩人クラブ・山下正彦事務局長から『いわての誌 2010』という素敵な詩集を戴いた。編集後記にこうある。「作品は県民の財産である。県民の手に、耳に、心に届けたい。詩人たちの詩へ寄せる青春の胸の高鳴りの数々の思いが、作品が、響いてくる」という。日本史上最大の大震災にあった東北の人たちは、必ずこの試練を乗り越えて、その粘り強さと智恵と誇り高い文化の力で復旧・復興を遂げられるだろう。私も東北人の一人として心から祈念したい。                            (2011.4.12稲村守)