6.27 大美堂争議一周年勝利報告集会開く

六月二十七日、京都市内で大美堂争議一周年勝利解決集会が開かれた。
 ちょうど一年前のこの日、「会社は倒産した。破産手続きをするので社員は三十分以内に私物をまとめて出て行け」と社長とその代理人から突然の宣告を受け、その晩から会社占拠闘争を続けて局面を打開して、その後社長や関係機関との交渉が成立してこの日の集会を迎えた。
 五人から一挙に社員の過半数の二十二人に労組を拡大し、一人の脱落なしに闘いぬいた組合員は、この日晴れやかな顔で百人の支援の仲間に激励された。
 司会・進行・報告に立った井上俊幸事務局長(全印総連京都地連副委員長)は新たな連帯の創出=共闘体制の広がり、「広く緩やかな団結」の創出=一人の脱落者も出さない三百六日間の闘い、抵抗権の社会的なアピール=労働組合の存在の社会的役割を再確認という三点の争議の意義を報告した。
 
当初はなかなか厳しい闘いで、社長も何ヶ月も雲隠れしていたが、最初無視していたマスコミが秋からの世界大恐慌を受けて、「東の京品ホテルか西の大美堂か」といったように、労働者の抵抗権を発揮して恐慌と闘いぬく姿に、取材合戦の様相を呈してきた。
 支援メンバーの協力によるブログ立ち上げも功を奏して、経営陣や銀行・関係当局、管財人などに大きく影響を与え、支援の輪を拡大した。四回の会社内での集会、全国住友商事支店要請行動、東京行動、銀行行動なども産別・ローカルセンターの総力を発揮して成功した。
 続いて当該奥田雅雄委員長から「全力を出して生き抜くことがこれからの私たちの課題です」というお礼の報告・挨拶があり、続く京都総評・岩橋祐治議長の「今や二十を越える争議団が京都総評に結集して、この二十年来ない事態だ。すべての争議勝利めざして闘う」という激励挨拶のあと、全印総連本部・加藤豊委員長の音頭で乾杯に移り、多彩なメンバーからの祝辞を受けた。本年二月十八日に十年ぶりで取り組まれた“争議支援京都総行動”のメンバーを京都総評・稲村守事務局次長が紹介し、この間総行動の成果で団交が開催されたり、大美堂労組のように勝利解決したりもしているが、新たな指名解雇が合同繊維労組傘下のKK京朋で起こり、「一名であるが、これを許せば七万京都総評の死活問題なので断固闘う」と決意表明がなされた。
 懇親会は六十年三池闘争時の労働歌や国鉄労働組合歌の披露など含めてなごやかに進められ、最後に大美堂労組組合員全員の発言がなされ、「みなさんに会えたことが私の宝物だ」「新たな旅に出ます」「三百日闘うコツは楽しく食事をして、おいしい酒を飲むことだ」「連帯・団結するすばらしさを学んだ」「倒産後に加入したが、奥田委員長についていろんな人に会えて、すごい勉強になった。一生もんです」「戦友が出来た」「6.27争議は勝利した。金銭を取ったことじゃなくて、こんな仲間が出来たこと。まだまだ労働運動は捨てたもんやない。進化し続ける」「すでにきょうとユニオンに入って頑張って活動しています」など、一年の間に見事に労働者として、活動家として成長した若い組合員の決意に参加者は運動の展望を確信した。
 四月六日には共闘会議構成団体である自立労連(田中啓司議長が委員長)のスイートガーデン中部工場閉鎖・売却が突然一方的に通告され、新たな闘いに引き継がれた。閉会は国労闘争団の仲間の音頭で、全員輪になりスクラムを組みガンバロウを合唱した。大美堂労組員はまだごくわずかしか再就職できていない。一年後その点を見届けて解散をする。

 6月27日勝利報告集会で報告する奥田委員長と組合員のみなさん

   

写真は、左から大美堂労組奥田委員長、支援共闘会議田中議長、全印総連北川委員長